ビールの起源は紀元前三〇〇〇年頃にまで遡ることができる。そのころのメソポタミア地方では、シュメール人がビールづくりの様子を粘土板に刻んだ。この粘土板は「モニュメント・ブルー」と呼ばれ、ビールに関する最古の記録とされている。
この粘土板によると、シュメール人はパンを原料としてビールを作っていた。まず、麦芽(大麦の芽)を乾燥させて粉にし、水でこねて焼いてパンを作る。次に、そのパンを水に浸して自然発酵させたのである。この作業は女性が担当していたという。
紀元前一八世紀頃には、メソポタミアを支配した古バビロニア王国のハンムラビ王が『ハンムラビ法典』を編纂したが、この法典にはビールやビール酒場に関する記述が四つも含まれている。これは古代バビロニアでビールづくりが盛んだったことを示している。
一方、古代エジプトでも、麦芽パンからビールを作る方法は伝わっており、紀元前二三七四年に即位した第五王朝第九代ナウス王のピラミッドの墳墓には、ビール醸造場の様子が描かれている。また、ピラミッド建設の労働者に対する賃金の一部としてビールが支払われていたという説もある。
現在のように、粉砕した麦芽をそのまま湯 に混ぜて仕込む方法を最初に行ったのは、紀元前一世紀頃のガリア地方(現在のフランス)のケルト民族である。彼らの方法 はローマに伝わり、中世ヨーロッパで広く行われるようになった。そしてヨーロッパの人々にとって、ビールは庶民の生活に不可欠なものとなり、家庭でも普通にビールが作られた。
中世に入ると教会や修道院がビール醸造技術の発展に大きく貢献した。修道院でのビール醸造はヨーロッパ各地に広まっていった。
中世ヨーロッパで有名なビールの醸造所としては、ドイツのハンブルクが挙げられる。一三世紀以降はビール醸造が都市的な産業として確立され、各都市は自分たちのビ ールの品質を競って自らの力を示すようになった。